第二章
大祓祝詞之響  
毎年六月三十日と十二月三十日、宮中や日本各地の神社では氣枯れを祓うため「大祓」が行われます。その時に奏上される言ノ葉が大祓祝詞です。今年はアマツカミ(伊勢神宮)とクニツカミ(出雲退社)が史上初めて、同時に遷宮を迎えます。大祓祝詞の中では、アマツカミ、クニツカミが開き再び現れるための祝詞というものが書かれておらず、空白となっています。これだけが絶対という言葉の世界ではなく、人は人、鳥は鳥、動物、魚、木、花、、、それぞれの言ノ葉、響きにより、アマツカミ、クニツカミが瑞々しく清らかに再生され、今を寿ぎ、導いてくださりますように、謹んで行わせていただきます。

Earth Awake〜いのちの目覚め〜
SHRINE
Up in the Sky
漂泊の旅路 /唄:楯 直己

出演:KNOB 塩入俊哉 楯 直己 ゲスト:Kazu Matsui 映像:田淵敏彦


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メモ帳を忘れまして、プログラム(もう一枚)へ書き込んだ解読不能な文字(笑)

つづきです
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後半の第二章。
紋付袴姿のKNOBさん(素敵(*^^*))が鈴?(細やかで柔らかな音)を鳴らしながらご登場。
先ず大祓祝詞のご説明を簡潔になさってくださり「言の葉の響きです」と。
大祓祝詞の解釈はプログラムに書かれていた文章を参考にさせていただきました。
KNOBさんの発する祝詞の響きは真っ直ぐであり、兎にも角にも私は無心で総てで聴きたいと思いました。楯さんの縦笛が清々しい響きに、それでも初めてちゃんと聞く(スミマセン)祝詞ゆえに緊張もあり解れるのを感じ、次第に真っ直ぐな声にも憂いが満ちて揺らぐ唄声、いうならばヴィヴラートのよう、純粋に美しいと思いました。祝詞は聴いたことはあっても声の味を以てこんなにも美しく純正な響きであったことに感動しました。
と感動はこんなものでは無い展開が待っておりました。
シンセがそれまでのどっぷり”和”な世界に、デジタルな音で滑り込む流れの自然さにも驚きながら、導きで、ディジュリドゥが再生したのである。同時に感情の昂りに突き動かされたのではと拳を握りしめ、渾身の力で吹くKNOBさんの表情と響き、やおら立ち上がり天上に向け、左右へも向ける(私は端の席でしたので、低い呻きで完全な感情の終焉の時とも覚悟したすごみの音で正面にディジュリドゥが現れたときは…ゾウさんのお鼻…ひっくり返りそうになりました・笑)
無防備にさらけだすKNOBさんの真の姿に私は魂ごとさらわれた…間違いございません。
これこそが空(からっぽ、くう)という見えず消えて行く響きの力が、色=物質である天の岩戸を開かせていく象徴と。私はディジュリドゥの響きを奏上であっても、神の力とかでなく、一体となったご自身、KNOBさんの実体を感じたのでした。
KNOBさんが最初に唱えられた般若心経にある「色即是空」。色は宇宙上総ての物質、色が付いたもの。空はからっぽ。実体も色もないもの。はプログラムに書かれてあった「人は人、鳥は鳥、それぞれの言の葉、響き」から。KNOBさん塩入さん楯さん、ディジュリドゥを含む楽器も物質であり、質量を持たない聴く端から消えていってしまう音楽と響きは"くう"空。しかし空には物質ではない感動、感情も含まれ、想いは物質で再現される、コンサートが再演できたりCDとなったりする。実は色も空も実体は無いもので(架空であるのが仏教でしょうか)それぞれがお互いに支え合って生かされていることで存在している、KNOBさんが、生かせていただいている、とMCで度々言葉にされる意味とリンクしました。
〜色〜と〜空〜、カラーに潜む陰の意味を私は加えたいです。

拍手を忘れるほど呆気に取られた迫真の大祓祝詞。スクリーンという鮮やかな”色”を映し出す物質に”空”の音、響きの競演がはじまります。
Eearth Awake〜いのちの目覚め〜
コラ(楯さんの弦楽器)の穏やかなアルペジオに彼方の精霊を呼ぶ石笛(”いわぶえ”と言うそうです)がスクリーンへと目を向けてくださいます。重なる楯さんのヴォイスは映像と相まって野性味を滲ませ、でも陰鬱ではなく、どこか慈悲の心が宿されているような優しさを聴きました。映し出される部族の人々の笑顔と一緒に石笛も微笑む音を感じました。しかしスクリーンには自然界の厳しさ、生活の糧である狩猟などの場面も。荒野からジャングルへ。ディジュリドゥが原始の声で吠え、謡い、祈る。祈りは楯さんのロングトーンなのか、楽器なのか未だナゾ。いつの間にか塩入さんはピアノを奏でてらして、優美で煌めく音に涙がこぼれそうになりながらも、ディジュリドゥの大地としっかり繋がった重みで祈りを捧げる音色と祈る人々の映像が心に強く刻まれました。ひとりひとりの目覚めを大切に大切にしてくださる音色。他民族多国籍な映像に楽器の背景と民族への興味も沸きました。

スコアはあったのかしら。無いでしょう。ステージ上すべての方達、自分たちが共有している高度なセンスを頼りに、お互いの響きの感性”くう”でスクラムを組み空間をいく音楽。演奏者の幸せをも感じずにはいられない。私達も生かされていく昂りは、いのちの目覚め。付け焼刃や借り物ではない、集中力と言いようのない精神性に裏打ちされた、大いなる説得力を持つ〜いのちの目覚め〜でありました。

尺八のKAZUさん、二本持たれて再登場。
KAZUさん「今日の(コンサート)は相当変わっていますよ(笑)世界中どこを探してもない。塩入さんと楯さんのおかげだよ」ノブさん「はい」いじられる ノブさんに、笑いも起きるMCでやわらか〜な雰囲気になりました。
尺八のソロから始まったSHRINE
まさに虚無僧が吹いているのじゃぁ〜〜と聴いていましたら、展開は全然ちがうのよ。なんせ世界中どこをさがしても無いコンサートですもの。コンガがきっちり刻むリズムに尺八よ。全地球の部族人種の音楽が融合された民族舞曲。身体にすっと馴染むこの不思議さ。それでいてジャパネスクなので盆踊り?(スミマセン、はるかにカッコいいです)
Up in the Sky
尺八のソロには夜明けの前に漂う濃い青い空の闇に聴くシーンとしたトーン。陰翳ある細やかなタッチが仄暗く憂いある抒情を絶えず描き、そこには、儚く切ない悲しみの碧の濃淡が浮き沈みしていました。尺八を起点にして、響きが空間に拡散していく自然な流れが、ゆったりと印象づけられる。決して派手ではないが、粘りづよく、皆さんの指の先まで神経が行き届いたような演奏でした。
初めて聴かせていただいた曲のオンパレード。尺八もディジュリドゥ、ソロ以外でも各楽器の個性の音がはっきり聞きとれる。細やかなパーツにも独特な楽器の音色の特性と面白味が埋め込まれている意図をも聴きました。
ラストは漂泊の旅路
唯一この曲のみ知っていますよね、読んで下さる方も。ピアノソロでのイントロも今夜Ver.です。唄は楯さん。一番二番と歌う表情に変化をつけられて聴き手を刺激する。一番での慎ましく囁く歌声に石笛がピューと透明に鳴った時には、わけがわからないですけどホロリときました。ピアノが創る壮大なオーケストレーションな響きにヒートアップして音も声も入り乱れてゆけば、様々に場面が変わるように太鼓も鳴り響き、大胆な響きが拡がりゆくスリリングさ。KNOBさんの祝詞が生で聴かれた!の感動もあって、楽譜の上で成り立つ曲なのですが、どうでもよくなり(スミマセン)頭より、もう生理的感覚でのみ沸き上がる感情にぐいぐい惹かれていました。

アンコールを望む揃った拍手に皆様笑顔で再登場。尺八のKAZUさんも。
ノブさんの「生かされている」とのお話が沁みました。
静やかなピアノとさざ波に。ディジュリドゥの言の葉を聴いているようでした。
終わりを誘う太鼓の音かと思えば、いえいえ、まだまだと吹き話す音色に是からの期待を抱き、前回と違うと感じたお客さまの反応、私は未だ固まってしまうのですが、ディジュリドゥの吹くリズムと同様に身体を揺らすお客様が大勢いらした。響きが他の人をつなぎ、一歩一歩確実な歩みを進めていくのですと伝えていました。
ピアノの強打&連打の和音が終わりを告げました。


塩入さんのピアノ、シンセと楯さんのヴォイス、多種のPer、今迄共演なされた演奏者と音色を当たり前の如くに違和感なく聴いてきたのですが、ディジュリドゥという私は昨年初めてであった楽器も、尺八も、総てに時代と歴史、由来、国があり、今迄遠く隔たっていた楽器なのです。同時に遠く隔たった音楽でもあった。
共演は空間という隔たりを越えることでもあり、その中でも現在・過去・未来という時間的な隔たりをも1つにするものであることに気付きます。
過去を聴いていられるのもKNOBさんが響きの命を持ち続けていらしたこと。いま生まれたような曲での新しい感動は、これまで彼を存知なかった方々のハートをもさらっていったでしょう。
また、様々な隔たりを一つにしても違和感がなく、素朴な響きを生かす楽曲構築のバランスはさすが!としか。

踏まえた上で今回コンサートで聴かせていただいた空間が、個体の響きが集合体で美しいコラージュを作っていく音感よりももっと、様々な人間の精神バランスが今ここに唯一の融合体としても知覚されるべき作品であると記しておきます。

なぁがながっ(*_*)熱に浮かされたらしい〜(笑) おつきあいいただきありがとうございました。
takako.

第一章はこちらです。http://blog.livedoor.jp/lamusique/archives/51877722.html